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イタリアへ留学した時、滞在していたホームステイ先&アパートについて書いています。
2002.9〜10(2週間)
トスカーナ州 フィレンツェ
MARIA(マリア)宅
生まれて初めてホームステイしたお宅。ここには、母と二人一部屋に住んだが、ホームステイの心得も勝手も解っていなかったので、母マリアに、お風呂の時間が長すぎると注意されてしまいました。その後、私たちは、超即行で風呂に入り、シャンプーも2日に1回にして、15分でシャーワーを浴びる生活を送りました。夏だったら、出来なかった技だわ!あと、ここの食事は最悪でした。初めてのホームステイで、食事も期待していたのですが、いつも出来合いのおかずが2品ぐらい盛られたワンプレートだけでした。。。ショック。今回は、母と2人一部屋で希望をだしていたので、それ以上求めるのは難しかったとは言え、ちょっとショックだったので、2003年のホームステイ先は、もちろん料理上手なお宅を希望しました。
2003.6〜8(2ヵ月半)
トスカーナ州 シエナ
GIULIA&MARIO(ジュリア&マリオ)家ホームステイ
私がホームステイした家庭の中で、一番長く(約2ヶ月半)滞在したお家。私はまったくと言っていいほどイタリア語がしゃべれなかったけど、元小学校教師だったジュリアばあちゃんは、私が文法を間違ってるとすぐ直してくれたり、時には発音が違うーと言って怒られたり、私のイタリア語があまりにも聞き取りづらかったらしく途中で聞く耳をもってもらえなくなったり、私が学校の授業のことで悩んでいた時も、私が学校に文句言ってあげるわー!ギャー!と白熱しちゃったり、私がアイスやフルーツを好きなのを知るとそれらを早速買ってきてくれたり、私が無口だとどうしたんだ?何かあったのか?と心配して気にかけてくれたり(私もたまには無口な時もあるのに。。。)、自分の子供のように接して可愛がってくれたジュリアばあちゃん。ジュリアばあちゃんは、夕食の支度をいつも午前中に済ませてしまう人なのに、私が夕飯の支度を一緒に手伝いたいってお願いしたら、午前中語学学校へ通っている私の為に、夕食の支度を夕方に変更してくれました。当日の朝、今日は4時半から夕食の支度始めるからね、メニューはジェノベーゼよ!と約束したはずなのに、いざ帰宅すると、メニューが変更されていたり、忘れられていることもあった。。。歳だからしょうがないか。確か、当時83歳ぐらいだったと思います。



2003.8 (2週間)
シチリア州 タオルミーナ
CULLURA COSTA(クッルーラ コスタ)家ホームステイ
コスタ家の人々は、夏場、海のそばにある別荘に住んでいて本家には帰ってきませんでした。私のよう
に本家にホームステイしている生徒が居ても。。。娘のサビ(本名SABINA)が、朝夕食の支度に毎夕方現れ、私たち生徒と一緒に食事した後、当然別荘に帰ってしまいました。でも、私としては、今まで大家同居のホームステイしかしたことがなかったので、今回のような自由な環境はとっても快適だったし、自分の部屋は狭かったけれど、トイレ・シャワー付で誰にも気兼ねなく使えたし、海が見える屋上には自由に使える冷蔵庫やテーブルが置いてあったので、毎晩のように友だちと、キラキラ輝く星を見ながらワインやグラッパを片手におしゃべりしたり素敵な時間を過ごせました。それに、サビが毎日ご飯を作っていたので、その時いろいろ会話もできました。そう言えば、夕食時間に、サビと私が他の生徒を待っていた時、私がお腹減ったよー!とサビに言ったら、彼女も同感だったらしく、マンマが作ったカポナータが少しあるからみんなには内緒で食べよう!とサビ。あの甘酸っぱいシチリアのカポナータの味、マンマはナスしか入れないけれど、私はいろんな野菜をいれるのと言っていたサビ。初めて食べた忘れられないおいしい味のひとつ。
2003.9(3週間)
トスカーナ州 シエナ
MARIA(マリア)宅アパート
9月から、ダンテアリギエーリ校のイタリア料理コースを受講し始めたのと同時に、ホームステイからアパート暮らしに変更しました。ホームステイをしていた最中、このアパートに住んでいた友達の紹介で9月以降住む予定で予約していました、大家同居で自分の部屋も狭くて薄暗かったので、他に気に入ったアパート(ここも違う友達が住んでいた)に入居できるまでの3週間だけ、ここに住みました。ここの大家さんは、私が居ない時、私の部屋に入っているらしく、私がバーゲンで買って壁に掛けておいたビニールコートを、どこで買ったんだ?これは雨の日用なのか?私もこういうのがほしかったんだ!などと詰め寄ってきたり、よーく見ないと気がつかない透明シール付インデックスシールもどこで買ったんだ?イタリアにはこんなのない!というので、私が予備で持っていたものを大家さんに分けてあげたり、100円ショップで買った洗濯ばさみ付物干しも、イタリアにはない形だー!と言ってほしそうにしていたので、たまたま日本から冬物の服を送ってもらうことになっていたので、その中に大家さんの分の物干しも詰めてもらい差し上げました。私っていい奴。。。それから、私が料理学校で作った料理を、お土産だよー!と大家さんに持って帰ってあげたら、チョー喜んでくれて、美味しい!どうやって作ったの?レシピ見せて!と言いながら食べていました。そして翌日、街中で大家さんに会った時、インターネットで調べたらフィレンツェにお料理学校があるから私も通おうかしらー!とはりきっていました。私と歳が近かったせいか、友達曰く、大家さんは私を意識していたらしいです。どうりで、私が遊びに出かける時、上から下まで舐めるよーにファッションチェックしていた訳ね。
2003.9〜11(2ヶ月)
トスカーナ州 シエナ
MUZZI(ムッツィ)宅アパート
ここは、ダンテアリギエーリ校の先生所有の学生シェアアパートで、個人部屋は2部屋しかなく、バス・キッチン・トイレ・居間共同。特に規制される条件もなく、テレビ・ラジオ・シーツ・タオルもあり、友達を呼んでもよかったので、お料理学校の仲間と一緒に料理を作ってフェスタ出来るー!条件
ピッタリ−と思い、早速ダンテアリギエーリ校の事務のお姉さんに、このアパートが空いているか聞いてみたところ、もう予約でずっと満室と言われてしまった。。。でも、ここで諦めてはいけませんよー皆さん!なぜなら、そう、実際私はここに住むことが出来たのだからっ!では、どうしてこのアパートに住むことが出来たかと言いますと、、、とっても簡単!なんと、もう1度頼んだだけ!しかも、ちゃんと調べろーとかいう強気な態度ではなく、チョー落胆した態度で、今にも泣き出しちゃいそうな哀れな子羊的に、アーこのアパート、友達が住んでいてとっても住みやすそうで気に入ったのになー、オーブンもあるしー、このアパートでお料理作りたかったなー、アーここに住みたかったなー、アー残念だなー、ハァー。。。とため息交じりで話したところ、カチャカチャカチャッとパソコンを叩き、再度空き状況を調べだしたお姉さん。そして、あー9月下旬からなら入居できるわよー!と言うではないか。どーなってんの?これはお国柄のせいなの?それとも事務のお姉さんの気持ち次第なの?でも、結果入居できることになったからまっいっか!!って、この考え方、イタリア人化してきてるぅー。
2003.11(10日間)
ロンバルディーア州 カルビサーノ
RISTORANTE AL GAMBERO(リストランテ・アル・ガンベロ)寮
ガンベロで働いている日本人コックさんの為の寮。ここで働く友達(日本人コックさん)に会いに行った時、泊まらせて頂いたのが最初で、2回目はその友達のおかげでガンベロで研修させていただけることになった11月に滞在した場所。新築で、暖房・冷蔵庫完備、シャワーの湯の出もよく、映りは悪いがテレビもある快適な寮だった。私が、10日ほどお世話になった時も、ちゃんと私の分のシーツや布団も用意しておいてくれたり、食事ももちろんみなさんと一緒に食べさせてもらった。友達曰く、私がいた時はシェフのヴィジェ(マンマ)がチーズなどいつもより振舞ってくれていたらしい。ありがとーヴィジェ!
2003.11〜12 (3週間)
カンパーニア州 ソレント
MAMICAMILLA(マミカミッラ)貸し部屋
マミカミッラは、ソレントリングエ校のステイ先以外に、独自でB&B(民宿)を家族経営している。
私が滞在した当時、いくら南イタリアと言っても朝晩冷え込む11月、ここマミカミッラ家の宿は古いコテージ風で、暖房機も備付のヒーターのみ、シャワーのお湯もアツアツがでなかった。しかも必要以上に広い部屋に一人で泊まっていた私。もちろん、部屋を変えてもらったけど、移動した狭い部屋も前と変わらず寒かった。。。ちなみに、現在は冷暖房完備、シャワーも熱湯が出るから安心してくださいね。
そう言えば、私が寒い、寒い言っていたら、マンマが、マミカミッラ家の子供たちを指して、寒かったらもっと厚着してあの子達みたいにマフラーしろっ!と言われ、生まれて初めて部屋の中でマフラーを巻いて過ごした。それ以後、私の中でこの行為は当たり前となったのは言うまでもない。
私はソレントリングエ校を介してこの料理教室に通っていたが、語学学校には通わなかったし、マミカミッラにも私以外生徒が誰もいなかったので、私は友達もいなくひとりぼっちだった。が、そんな私を気遣ってくれたここの息子ジュゼッペやその友達が、毎日のようにナポリやソレントなどへ遊びに連れて行ってくれたので、予想外の楽しい暮らし&ソレント地元っ子の日常生活を体験できました。
そして、シエナに居た時は、いつも日本人の友達と一緒にいたので、イタリア語を使う機会は皆無に等しかった私が、ここソレントでの3週間は、イタリア人たちだけと一緒に過ごし、会話はすべてイタリア語だけだったおかげで、私は本当にイタリアに留学していることをやっと実感できました。(辞書を片時も離せませんでしたけどね!)
2003.12(2週間)
トスカーナ州 シエナ
ADORIANA(アドリアーナ)宅
アドリアーナとは、ダンテアリギエーリ校のイタリア料理コースの講師、セレナのマンマ。アドリアーナは、よくお料理学校のレッスン中にお庭で取れたキレイなお花やハーブを届けに来たり、私たちと一緒に昼食したり、時にはアドリアーナの別荘(写真右)に招待してくれる、みんなのマンマ的存在だった。
彼女の家は、キッチンは、すべてステンレスのモダンなシンク周り、アンティークな食器類があり、バス&トイレ室は、金メッキのシャーワー、アンティークな刺繍のタオル、観葉植物など王室のお姫様用みたいな素敵なバスルームなど、いつも片付いたきれいでおしゃれな家だった。